↑ポスタービジュアル→中段上:長谷川潔 《オランジュと葡萄》 1932年、メゾチント
→中段中:長谷川潔 《アレキサンドル三世橋とフランスの飛行船》 1930年、 メゾチント
↓長谷川潔 《思想の生れる時》 1925年、ドライポイント、手彩色(雁皮紙刷り) 上・中・下すべて 町田市立国際版画美術館蔵

両親を比較的早くに亡くし、父の死去後に東京の中学に進むが、中学卒業前に葵橋洋画研究所で黒田清輝から素描を、本郷洋画研究所で岡田三郎助、藤島武二から油彩を学んだ。体の弱かった長谷川は勤め人は無理と、もともと好きだった絵を描き始めたという。その後、


1918年(大正7年)、版画技術の習得のためフランスへ渡航。パリでは、当時失われつつあった銅版画の古典的な技法マニエール・ノワール(メゾチント)を独自の形で復興させて版画の歴史に大きな足跡を残した。またエングレーヴィング、アクアチントなど様々な技法も探求。モノクロームで特に前述のメゾチント(マニエール・ノワール=黒の技法とも)と呼ばれる古い版画技法の復活で自身の様式を確立した。フランスへ渡って以来、数々の勲章・賞を受けているが、一度も帰国はせず、パリで没した孤高の版画家だ。
日本の版画界に大きな影響を与えた長谷川の作品だが、活躍の舞台はずっとパリである。1920年代から活動始めた長谷川はほどなくフォーヴ(フォーヴィスム・野獣派)の画家・版画家デュフィに見い出され、マティス、ピカソ、シャガールなど後の巨匠たちが名を連ねる「独立画家=版画家協会」に加わった。
↑長谷川潔 《時 静物画》 1969年、メゾチント←長谷川潔 《狐と葡萄(ラ・フォンテーヌ寓話)》 1963年、メゾチント
↓長谷川潔 アカリョムの前の草花〔草花とアカリョム〕》1969年、メゾチント上、左、下:すべて町田市立国際版画美術館蔵

本展では、

展覧会構成は、序章 日本時代 ―水と空のかなたから呼ぶもの、1章 銅版画の研鑽 ―古典技法の発見と刷新、第2章 パリの版画界 ―画家たちとの交友、第3章 『竹取物語』 ―フランスで刻まれた日本の美、第4章 自然 ―白昼に神を視る、第5章
↑長谷川潔 『竹取物語』《「貴公子たちの求婚」の章 挿絵》1927-34年(1934年刊)、エングレーヴィング、ドライポイント、町田市立国際版画美術館蔵本展は、特装本にしか入っていないスイット(挿絵部分を別刷りしたシート)も一挙に見ることができる貴重な機会となった。






